topimage

2017-11

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中世の名残~南ドイツへ - 2016.08.09 Tue

「マイレージキング」とうたわれた我が夫、
ポンピリ夫が貯めに貯めたマイルの有効期限が迫りつつある。
早いうちに特典航空券に換えて使っておきたい。日本の猛暑からも逃れたい。
そんなわけで、1ヵ月の長い夏休みを取ってヨーロッパへ出かけることにした。
主な目的地はスイスアルプスの麓の村、グリンデルヴァルト(Grindelwald)。

物価の高いスイスでのホテル暮らしは厳しいので、貸別荘を3週間借りた。
前後1週間をドイツで過ごし、合わせて1ヵ月。これまで経験のない長旅である。
一緒にいると小競り合いの絶えない二人が、はたしてうまくやっていけるかな。

まずフランクフルトへ飛んだ私たちは、レンタカー会社の営業所へ向かった。
小型のオートマ車の在庫がなかったため(ドイツではマニュアル車が主流)、
予約した車種より大型でカーナビつきのオペルを追加料金なしで借りることができた。

私たちのレンタカー_R

やたらと車体が長い車だが、乗り心地はなかなかいい。
これから南下して独バイエルン州に入り、スイスのベルン州を目指す。
南ドイツでは、かの有名なロマンチック街道(Romantische Straße)を通過する。
ヴュルツブルクからフュッセンまでの、366kmに及ぶルートだ。

ロマンチック街道かあ。
夫も私もロマンチックな経験には縁のない人生を送ってきただけに
ピンとこないネーミングだが、1950年代に観光客誘致の目的で名づけられたらしい。

街道の起点ヴュルツブルクでは、
世界遺産に登録されているレジデンツ(Würzburger Residenz、大司教の宮殿)へ。
館内を見学する時間はなかったが・・・

レジデンツ_R

荘厳なバロック様式の宮殿。大きすぎてフレームにおさまらない。

街の中心部をざっと散策しながら、広場で開かれている市場をのぞいてみた。

アーティチョーク_R

珍しかったのがアーティチョーク専門の露店。種類も大きさもいろいろあって面白い。

マリエンベルク要塞を橋の上から_R

マイン川にかかる橋の上から、マリエンベルク要塞を眺める。
紀元前から要塞が築かれており、現存する最も古い部分は8世紀の建築だという。

次に、城壁の街として知られるローテンブルクへ向かった。
2泊滞在するホテルは、Hotel Rappen Rothenburg ob der Tauber

私たちの宿ローテンブルク_R

看板に書かれたGasthof(ガストホフ)とは飲食店併設の比較的低料金の宿をいう。

宿ローテンブルク_R

観光に便利な立地とお手頃な料金でここを選んだ。
簡素な客室ながら設備は必要十分で、朝食もおいしかった。

さて、ローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)旧市街の探訪に出かけよう。

個人手配で観光地を旅行する際の私の作戦は、「さりげなく盗み聞き」。
ツアー客を案内するガイドさんが英語やスペイン語、日本語で説明しているのを
こっそり聞いて、ご当地の歴史を断片的にでも知ろうという魂胆だ。

この地に最初の城門が築かれたのが12世紀末。
城が地震で崩壊して城主もいなくなり、ローテンブルクは自由都市として発展した。
1380年頃から街の防衛を目的に城壁の建設が始まった。総延長は2.5㎞ある。

ローテンブルクの城門_R

旧市街の北東に位置するガルゲン門(Galgentor)から中に入った。
Galgenとは絞首台の意で、かつてこの門の外に処刑場があったことから
「Galgentor=絞首台の門」と呼ばれるようになったという・・・ブルブル。

城門、人の通り道_R

門の脇に人が通れる出入口がある。

ローテンブルクの古い街並み_R

美しい木組みの住宅や店が立ち並ぶ通り。

これぞローテンブルク旧市街_R

路地を歩いていると一瞬、中世の街に迷い込んだような錯覚に陥る。
写真左奥がジーバース塔(Siebersturm)、右奥がコボルツェラー門(Kobolzeller Tor)。

古い街並み2_R

家々の窓を彩る花が心をなごませてくれる。

窓に飾られた花がきれい_R

城壁ぎりぎり、というより、城壁の内外にまたがって建てられたホテル。

城壁へ_R

城壁の上には屋根つきの回廊が設けられていて、街を一周できる。

城壁から街を見る_R

回廊の高さは6mほどだろうか。少し高い視点で街を眺めてみると・・・

暮らしぶりがわかる_R

地上からはわからなかった住民の暮らしぶりがうかがえて、興味深い。

人々の暮らし_R

回廊を下りて、ふたたび街を歩き回った。

くるみ割り人形_R

ドイツの伝統工芸品といえば、くるみ割り人形が有名だ。
店の前に飾られた人形は、ドイツ人なら等身大の大きさだな。

ローテンブルクのマルクト広場_R

旧市街の中心にあるマルクト広場(Marktplatz)。

市庁舎と鐘塔_R

茶色を基調とした市庁舎はルネッサンス建築、
隣接する白い鐘塔はゴシック建築様式で建てられている。

鐘塔の木製らせん階段を上がっていくと、すれ違いが困難なほど狭い展望台に行きつく。
そこでは眼下に360度のパノラマが広がっていた。

鐘塔からの眺め3_R

赤茶色の屋根と色とりどりの壁が連なる街並みの美しさに、たちまち心奪われた。
まるで、夢に見たおとぎ話の世界のようだ。

マッチ箱みたい_R

城壁に囲まれた「中世の宝石箱」。その向こうにローテンブルクの新市街が見えた。

リンゴジュース売りのおじさん_R

急な階段を上り下りして喉が渇いたせいか、
広場に出ているリンゴジュースの屋台に目がいってしまう。

リンゴをこれで絞る_R リンゴジュースはしぼりたて_R

ほほう、昔ながらの絞り器を使ってるんだね。
絞りたてのジュースは甘酸っぱく香り高く、抜群においしい!あっという間に飲みほした。

その時、マルクト広場にある時計台の、時を告げる鐘が鳴りはじめた。

時計台_R

午前11時。観光客がいっせいにカメラやスマホを構えて撮影態勢に入った。
窓に現れるからくり人形を撮るつもりだろうが、中が暗すぎてはっきり見えない。

ちょっとしか見えませんよ_R

からくり人形はビールを飲んでいるらしいのだが、
12時の鐘の時にふたたび試みるも、この程度しか写らなかった。

城壁内から見たレーダー門_R

写真は城内から撮ったレーダー門(Rödertor)。
14世紀末の門塔で、周囲には壕が掘られ、門は三重になっている。

レーダー門_R

城壁の外から見たレーダー門。
手前にあるのはかつて税関と見脹りの機能を果たしていた小屋だ。
こうやって街の防御を固めていたんだなあ。

名残惜しいが、そろそろ先へ進まなければならない。
ロマンチックでない二人は、ロマンチック街道をさらに南下すべく車を走らせた。

翌日、シュタインガーデンにあるヴィースの巡礼教会(Wieskirche)を訪れた。

ヴィースの巡礼教会_R

牧場の中に建っていて外観は質素な教会だが、中に入ると・・・

巡礼教会の内部_R

贅を尽くしたロココ様式の装飾に圧倒される。

ヴィース巡礼教会の天井_R

ひときわ目を引くのは優美な色彩の天井画だ。首が痛くなるまで眺めてしまった。
教会の完成は1757年。ユネスコの世界遺産に登録されている。

夕方にはドイツ最南部の都市、フュッセンへ到着した。ロマンチック街道の終点だ。

ロマンチック街道_R

ドイツ語と日本語を併記した街道の標識、見ーっけ!

今日から2泊するホテルはLandgasthof Klause
フュッセンから車で約15分、ロイテ(Reutte)の緑豊かな谷にひっそりと建っている。
GPSで場所を確かめているうちに、あれ? もしかして・・・
ここってドイツじゃなく、オーストリアなんだ!

予約した時にはわからなかったが、フュッセンからわずか数㎞で、国境を越えるんだね。
初めてのオーストリア、しかも、名前だけはよく知っているチロル州へ来たわけか。

LandgasthofKlause入口_R

ホテルの入口には中世の城の跳ね橋を再現した設備があり、
敷地内に甲冑や鎧、武器を展示した博物館が併設されている。

Klauseです_R

私たちの客室は寝室+リビングダイニングのアパートメント形式だ。

LandgasthofKlause_R.jpg

部屋は豪華ではないにしても広々として清潔だし、設備も充実している。
重い荷物を持って階段を上らなければならないのが玉にきずだが・・・

結婚式_R

ちょうどホテルの別館(納屋を摸したレストラン)で結婚披露宴があったらしい。
新郎新婦も招待客も、オーストリアの伝統的な衣装に身を包んでいる。

幸せそうなカップル_R

素敵だなあ。
ロマンチック街道からはずれたところで、ロマンチックな二人を見つけたよ。

フュッセン市郊外には、世界中から観光客が集まる場所がある。
ディズニーランドの「眠れる森の美女の城」のモデルとなったことで知られる
ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)だ。

パッケージツアーの行程には必ず組み込まれているが、個人で行く場合は要注意。
ハイシーズンの当日券は、購入のため行列に1時間も並んだうえ、
実際の見学開始までさらに2、3時間待たされることもあると聞く。

ポンピリ夫、そこはぬかりなく、1ヵ月前に公式サイトで見学予約を済ませていた。

行列に並ぶ_R

おかげで私たちは、長蛇の列に並ぶことなく入場券を購入できた。
日頃あまりかんばしくない夫への評価が、一時的に跳ね上がる瞬間だね。

城の入口へは、チケットセンターから徒歩で30分ほどかかる。
馬車またはシャトルバスも利用できるが、ほとんどの観光客が歩いて登っていた。

城まで歩く_R

これがノイシュヴァンシュタイン城

DSC05698ノイシュバンシュタイン城です_R

記念写真撮影の定番スポットであるマリエン橋が現在工事中のため
最高のアングルとはいいがたいが、造形の美しさは見てとれる。

番号にしたがって_R

入場券の番号にしたがってグループ分けされた見学客は、
指定の時刻にオーディオガイドによる解説つきのツアーに出発する(城内は撮影禁止)。

見学して、わかったこと。
なあんだ。本物の中世の城じゃないんだ。

ノイシュヴァンシュタイン城は19世紀後半に建てられた城で、総石造でなく大半が鉄骨造。
騎士伝説に異様なまでに傾倒していたバイエルン王ルートヴィヒ2世が
自らの中世への憧れとこだわりを具現化するために築いたらしい。
うーん、ちょっとがっかり。

城の建設にともなう王室の財政難に危機感を抱いた首相のルッツらは
1886年、ルートヴィヒの精神鑑定を行い、禁治産者としてベルク城に軟禁した。
ルートヴィヒはその翌日、湖畔を散歩中に謎の死を遂げたという。
現実から目を背け、自分だけの夢の世界に閉じこもった人だったようだ。

ルートヴィヒに同情しつつも、城内の華麗なる装飾や人工の洞窟には
感銘を受けなかった私は、だまされたような気分?で城をあとにした。

ふたたび国境を越えて、ドイツからオーストリア側へ戻った私たちは
ホテルのマネージャーのすすめで、予定外の軽いハイキングに出かけた。
目指すはエーレンベルク城址(Burg Ehrenberg)とクラウディア要塞(Fort Claudia)。

まずホテルの裏山に登って城址を訪れ、
そこからハイライン179(Highline 179)なる世界最長のチベット式吊り橋を渡り、
谷の反対側の崖の上に建つ要塞へ行って帰ってくるというルートだ。

城址へ登る_R

エーレンベルク城に向かって登っていく。

エーレンベルク城址_R

13世紀末に築かれたこの城の平穏な日々は16世紀、宗教戦争の際に破られた。
城はサクソン人、のちにスウェーデン人らの攻撃を受け、
18世紀にはバイエルン人に占拠されたが、その後チロル人民兵が奪還したという。

崖の上の城址_R

こんな山奥にまで攻め込んでくるなんて、人間って、よくよく戦争が好きなんだなあ。
代々どんな城主が住んでいたんだろう、と想像してしまう。

ハイライン179_R

これが城址と要塞を結ぶハイライン179だ。
世界最長のチベット式吊り橋って、どこがチベット式なのか、見当もつかないが・・・
2014年に完成したばかりというこの橋は、長さ406m、高さ114m、幅1.2m。
足元は当然ながら鋼板メッシュで、下が透けて見える。

チベット式吊り橋_R

それに、渡りながら橋をわざと揺らす奴がかならずいるんだよね(私です)。
高所恐怖症の夫は、渓谷の美しい景色に一度も目をやることなく渡り切った。

でも、恐怖心を克服したご褒美もあった。振り返れば、反対側の崖の上に・・・

エーレンベルク城址です_R

先ほどのエーレンベルク城址が神秘的な姿を見せている。
素晴らしい。これこそ、本物の中世の名残だ。

クラウディア要塞だよ_R

クラウディア要塞は、エーレンベルク城への度重なる攻撃を食い止めるため
1639年に建設が始まり、1645年に完成した砦だ。
オーストリア大公レオポルト5世の妃クラウディア・デ・メディチにちなんで名づけられた。

クラウディア要塞だ_R

部屋に戻ってから私は、すごいことに気づいた。この絵地図をご覧あれ。

地図でいうと_R

このホテル クラウゼは、城址と要塞の間の谷(青く囲った所)にある。
その昔、道路封鎖目的で設営された小要塞の跡地らしい。
位置的には・・・吊り橋の真下じゃん!

チビならではの視線の低さゆえ、頭上の世界については考えもしなかった。
さっそく駐車場に出て、空を見上げてみたら・・・

実は吊り橋の真下_R

わー。歩いている人たちの姿が丸見えだー。ちょっと、落ちたらどうするの。
地上で見てる方が吊り橋渡るよりよっぽど怖いわ。

それにしても城址と要塞が、本当に印象深かった。想像力をかきたてられた。
実は、オーストリア国内でもまだあまり知られていないそうだ。
ハイライン179がギネスブックに登録されたのをきっかけに、
チロル地方の新たな観光資源として発展するかもしれないね。

ノイシュヴァンシュタイン城で少々期待を裏切られた私も
中世のロマンあふれる場所にめぐりあえて、気分が一気に高揚した。
ようし。これからの旅路も、きっといいこと、ありそうだ。

この項、次に続く・・・


スポンサーサイト

眠れぬ夏の夜 - 2016.07.11 Mon

暑い季節の到来で、眠れぬ夜が続く。
眠りたいのに、目がさえて眠れない。

その理由は・・・
夕方、カフェインを摂りすぎたから?
陸上、テニス、サッカーなどの試合中継を夜遅くまで見て興奮したから?
片づけなければならない仕事が山積みで気になるから?

どれも、違う。
眠れないのは、あの虫のせいだ。

ある日のこと。夕食を終え、お風呂から上がってリビングでくつろいでいたら、
カーテンのあたりでパサッ、パサパサという怪しげな音がする。
いやーな予感がして振り向くと・・・虫らしきものがぶわーんと飛び立った!
私はぎゃっ、と声をあげてのけぞった。
やめてー。いったい、いつのまに侵入したのか。

ブルブルールルッ、ブン、ブンブンッ!
えたいの知れない虫は
やみくもに部屋中を飛び回ったり、壁や天井にぶつかったり・・・

我が家の照明

あげくの果てに、照明のガラス皿部分(上の写真参照)に着地。
しばらく鳴りをひそめていた・・・かと思いきや、ふたたび勢いよく舞い上がり
『スター・ウォーズ』のライトセーバーみたいな軌道を描いて飛びまくる。

うるさいやら、怖いやらで、何も手につかない私。
室内で飼っているメダカやエビのためにも殺虫剤は使いたくないから、
丸めた新聞紙で叩き落とそうとするも、唐突で予測しがたい虫の動きに翻弄される。

この虫の正体は・・・カナブン。

夜行性で光に集まる、あのちっぽけな虫である。
正確にはカナブンではなく、コガネムシやアオドウガネの類らしいのだが・・・

眠れぬ夏の夜(カナブン) コガネムシ
アオドウガネ(ウィキペディアより)>   <コガネムシ(ウィキぺディアより)>

コウチュウ目○○科△△亜目だか何だか知らないが、
正式名称とかそんなん、もう、どうでもいい。
飛ぶときに発する耳障りな音をほうふつさせる名前ということで、
当ブログではカナブン!で通させていただきます。

カナブンとの仁義なき戦いはえんえんと続いた。
私は脚立を持ち出して一番上の段に乗り、ハタキを振り回して応戦した。

夫のポンピリ夫は
「そんなの、ほっとけばいいじゃないか。
 部屋の明かりを消して窓を開けたら、そのうち出ていくだろ」

などと言うばかりで、孤軍奮闘する妻に助けの手を差し伸べようともしない。
いよいよ腹立たしい。
そもそも、カナブンが入ってきたのは
あんたがベランダのサッシを開けっ放しにしたからじゃないのさ。

それに、うちのベランダの外は、こんなふうに木が生い茂っていて・・・

我が家のベランダより林

サッシを開けたりしたら、今度は別の虫が入ってくる恐れがあるのだ。
そんな事態を許すわけにはいかない。
カナブンだろうがなんだろうが家から追い出さないかぎり、寝られるものか。
私は目を血走らせ、汗をかきかき奮戦した。
ようやくカナブンを生け捕りにして外へ逃がしたころには、真夜中をとうに過ぎていた。
体中を駆けめぐるアドレナリンのせいで、まんじりともせずに朝を迎えた。

仁義なき戦いはこれだけでは終わらなかった。
次の日の夜、また新たな1匹、カナブン2号が現れたのだ。
洗濯物を取り込む際についてきたらしく、日中はひっそりとどこかに隠れていて、
明かりがつくやいなや突撃開始。
おーい、勘弁してくれよぉ。
私はふたたび、ハタキと丸めた新聞紙で虫を追いかけた。

そして3日目、まさかのカナブン3号を発見。
身も心もくたくたの私だったが
経験を重ねてコツをつかんだおかげで、初日の半分の時間で撃退に成功した。

4日目。
ここまでくると人間、疑心暗鬼になり、
観葉植物の葉がカサッと落ちる音にさえ「もしや、虫?」と反応してしまう。
だが幸いカナブンの襲来はなく、かろうじて平和な夜を過ごした。

ただ、連夜の激闘と睡眠不足がこたえたせいか、
さすがの私もげっそりやつれてしまった。

カナブンに 眠り奪われ 面やつれ

しかし、なぜこれほど頻繁にカナブンが出没するのか?
原因は我が家周辺の環境にあった。
このあたりは緑が豊かで、区が保存樹木に指定した木がそこここに見られる。
(白い札がついているのが保存樹木)

我が家の周辺、保存樹木

中には見事な大木もあって、その太い幹には・・・

カナブンらが集まる木

カナブン、カブトムシ、クワガタ、ハチなどが樹液を吸いに集まってくる。
気持ち悪い画像ですみません。

これじゃ、虫がはびこるのも仕方がない。
あきらめて、うまくつきあっていくしかないのか。
盛夏になれば、今度は窓やサッシめがけて飛来するセミとの戦いが待っている。
いっそのこと、虫取り網、買おうかなあ・・・

虫取り網
<キャプテンスタッグ公式サイトより>

だけど、捕獲しようとして虫取り網を振り回したりしたら、
アドレナリン出まくってなおさら眠れなくなるんだろうなあ・・・

虫取りの 興奮でまた 眠れない


空が近い、古都クスコ - 2016.02.27 Sat

前項 マチュピチュ、奇跡の天空都市 より続く。

旅に予期せぬトラブルはつきものだ。

私が初めて南米を訪れたのは2002年のこと。
ブラジルに駐在していた夫と一緒にブラジル~チリ~アルゼンチンを回った。
世界自然遺産のペリト・モレノ氷河へ向かう途中、
長距離バスがパタゴニア平原で突然故障し、立ち往生してしまった。
運転手自ら修理を試みるも、いっこうに直りそうにない。

ぎええー。ここで一夜を明かすことになるのか・・・
曲者の襲撃にそなえて武器を調達するしかない。
私が覚悟を決めたその時、奇跡のように、別の会社のバスが通りかかった。
運転手さんに 「助けてくだされ、大陸最南端の町へ行きたいんだす」 と訴えたところ
「なら、乗れば?」とあっさり応じてくれて、目的地にたどり着くことができた。

そう、旅に予期せぬトラブルはつきものだ。
今回の南米周遊ツアーでも、それが世の習いであることが証明された。

ツアー4日目の朝。
ホテルの部屋の水が突然出なくなった。
フロントに電話して確認すると、未明の豪雨による土砂崩れで貯水施設が壊れたらしい。
マチュピチュ村全体が断水しており、復旧のめどは立っていないという。
えー、水がないって、どうすりゃいいの。
シャワーどころか、顔も洗えないし、トイレも流せない。

ハトゥン・インティのレストラン

あわてて7階のレストランへ行ってみたら、最低限の朝食がちゃんと用意されていた。
スタッフが奔走し、予備タンクからトイレ用の水をバケツに汲んで各部屋に配ってくれた。
こういう非常事態?には慣れているのか、対応が早い。
おかげで私たちは無事、身支度を済ませて出発することができた。
ハトゥン・インティの皆さん、ありがとう。

マチュピチュ駅

マチュピチュ駅からオリャンタイタイタンボ行きのペルーレイルに乗った。
往路とは違うタイプの展望列車だ。

帰りの高原列車

行きの車両(Vistadome)に比べると設備がやや簡素なExpeditionという型式だが、
車内の壁にはインカの人々の絵が描かれていて楽しい。

ウルバンバ川2

車窓から眺めるウルバンバ川沿いの景色がすばらしい。
この川がアマゾン川の源流の一つだと聞いて、へえー、と妙に感心する。

ペルーレイルすれ違い

反対方向から来る列車とすれ違った時、窓越しに撮ってみた。この外観、なぜか懐かしい。

線路脇の家

日干しレンガ造りで現代風に仕上げた民家も、風情があるね。

↓ 車窓の向こうに見える人々の姿に はっと胸をつかれ、思わずシャッターを切る。

ペルーの人々

期せずして、ペルー土着の色合いがよく出た一枚となった。
買い物の合間におしゃべりを楽しむ女性、連れの子供、座ってくつろぐ男性。
右端にわずかに見える食料品店では、鶏を一羽丸ごと売っている。
現地の人の日々の暮らしをかいまみた気がした。

オリャンタイタンボから再びバスに乗ってクスコへ向かう。
市街の北側を囲む丘の上に建つサクサイワマン遺跡を外から見学した。
この遺跡の目的については城砦、宗教施設など諸説あるようだ。

サクサイワマン

天上・地上・地下を意識したインカの世界観を反映して三段構造になっており、
それぞれの段は石段でつながっている。

サクサイワマン遺跡で働く人々

写っている人は観光客ではなく、遺跡の修復にたずさわる担当者らしい。
彼らの身長と比べると建造物の規模がわかる。
積み上げられた石は最大で高さ5メートル、重さ360トンにも及ぶ。

子供をおぶったペルー人女性

バスに戻る途中、赤ちゃんをおぶった女性に出会った。
赤茶色の山高帽と、鮮やかな色合いのおぶい布が印象的だった。

クスコの街並み

レンガ色の屋根が連なる街並みが近づいてきた。インカ帝国の古都クスコだ。

クスコの街並みは

標高は3400m。空に広がる雲が近く感じられる。
ここよりさらに高い峠(約4000m)をバスで超えてきたとはいえ一瞬だったし、
高地の街を観光で歩き回るのは初めてだ。
高山病の症状が出る場合もあるので、ガイドさんから
「ゆっくり、のんびり歩いてください。けっして走らないように」という注意があった。

チビのくせに大股で早足の私はゆったりした動作が苦手で
すぐ小走りになったり、階段を一段抜かしで駆け上がったり、はたまたスキップしたりして
大のおとなのすることじゃない」とよく批判される。
私の場合「大のおとな」っていうより「小のおとな」なんだけどね。

・・・いやいや、そんなアホな冗談ゆうてる場合やない。
穂高岳登山の時、急いで登って高山病になったんを忘れたんか。
ここはガイドさんの指示に素直に従わなあかん。

クスコにてコカ茶

アンデスの人々が高山病予防によく飲むのがコカ茶だ。
日本への持ち込みは当然、禁止だから、ペルーにいるうちに試すことにした。
コカの葉を数枚お湯に入れただけで格別おいしいものでもないが、
ライムを絞り入れるとさっぱりして飲みやすい。

クスコのアルマス広場

確かに、ゆっくり動いているかぎり体の不調は感じない。
まずは、クスコ市内中心部にあるアルマス広場へ。
"アルマス(armas)"とはスペイン語で「武器」の意で
広場の名前は植民地時代に警備の兵士が持っていた武器に由来するという。

広場を囲むようにして、インカ帝国と中世スペインの文化が融合した美しい建物が並ぶ。
世界遺産に登録された都市だけに、建築に使える色の基準も厳しい。
スターバックスのロゴは、この店標準の緑でなく黒に統一されていた。

クスコのスタバ

ケンタッキーフライドチキン(KFC)のロゴも、同じく黒を採用している。

クスコのケンタッキー

くすんだレンガ色や黒などの暗い色、乳白色やベージュのような落ち着いた色の中、
対照的なのが原色を多用した民族衣装だ。

クスコの路上、民族衣装の女性

路上で観光客向けの民芸品の店を開いている人や
リャマらしき動物を連れて座りこんでいる人を見かけた。

クスコの民族衣装を着た女性とリャマ

市内観光のハイライトのひとつは、
インカ帝国時代の石組みの精巧さを物語る12角の石だ――なるほど、角が12ある。

これが12角の石

画像左端に写ったガイドさんの手と比べれば一目瞭然だが、12角の石、デカいです。
見事に磨かれた表面にも感嘆する。
継ぎ目にはカミソリの刃1枚も通らないという驚異的な石組み。
それにしてもなぜ、こんな複雑な形の巨石を壁に組み込もうなんて考えたんだろ。
職人の意地かな。気まぐれかな。

12角の石と少年

12角の石とかたわらに立つ少年(身長約160センチ)とを比較してみよう。
明るい水色のウエアと靴のコーディネートが完璧だね、この子。

右側はインカの石壁、左側は植民地時代

道の右側がインカ時代の石壁、左側がスペイン植民地時代に作られた石壁だが、
後世に築かれた壁のほうがインカの古い壁より雑な作りになっているのが笑える。
美観と耐震性に優れた壁を築く いにしえの技術は、どこへ消えてしまったのか。

クスコの太陽神殿

これがクスコの太陽神殿。雲の晴れ間がしだいに広がってきた。
高地らしい涼しい風の中、青空がますます近く感じられる。

クスコの学校

太陽神殿近くの学校では、下校する生徒が門から一斉に出てくるところに遭遇した。

クスコの中学生

中学生の女の子たち。歩きながらおやつを口にしている食いしん坊もいる。

クスコの中学生2

緑の制服も、アップにしてまとめた髪の白いレース飾りも可愛らしい。
世界遺産の街に住んで歴史地区にある学校に通うって、どんな感じなんだろう。
本人たちにとっては日常生活だから、「特別感」はないのかもしれないね。

クスコの太陽の神殿全景

空近し 古都クスコの丘 風そよぐ
私たち一行は夕方、この神々しい街を後にして再びリマへ向かった。

クスコの夜景です

飛行機の窓からクスコの夜景を眺めながら、私はうとうとし始めた。
明日はブラジルかあ。

南米旅行記、次項に続く・・・

マチュピチュ、奇跡の天空都市 - 2016.01.12 Tue

前項 ナスカの地上絵~ハニノシタ症候群 でご報告したとおり、
母と友人とともに挑んだ南米12日間の旅は波乱に富んだスタートとなった。
しかし、思いがけない収穫もあった。
揺れに揺れるセスナ機で苦難をともにしたツアー参加者の間に
妙な連帯感が芽生え、和気あいあいとした雰囲気が生まれたのだ。

俺たち、あの生き地獄を経験したんだから
もう、どんなことがあっても耐えられるよな。一緒にがんばっていこうぜ!

・・・てな具合に励ましあいながら、一行は旅を続けた。

ツアー3日目。
リマから空路、クスコへ入る。標高は約3400m。空気、薄そうだなあ。
私は出発前に高山病予防薬を飲んでおいたので平気だったが、
薬を飲まなかった参加者の中には頭痛、ふらつきといった症状が出た人もいた。

ただ、ツアーでは身体的負担に配慮した旅程を組んであり、
この後すぐにバスで移動して峠を越えた後、標高2800mの町まで下り、
そこから列車でマチュピチュ遺跡の麓の村へ向かう。
一日で1400m近く下っていくので体は楽になる。

クスコを出発後、鉄道沿いに進むバスの窓から外をふと見ると
何やら大勢の人でにぎわっている場所がある・・・・・・ん?

クスコ周辺、鉄道の線路で商売するペルーの人たち

線路の上で市場が開かれてるけど・・・いいの?
列車がめったに通らないから空いてる線路を利用しちゃえ、って考えなんだね。

ほどなく、赤い瓦屋根と日干しレンガの家々が軒をつらねる街並みが現れた。

ペルー日干しレンガの街並み

屋根の上に何やら飾りをのせている家が多い。2つ並んでいるのは、なんだろう?

ペルー版シーサーは牛

沖縄のシーサーみたいなものかな。
ガイドさんによるとTorito de Pucaráプカラ牛)といって、家の守り神だそうだ。

プカラ牛
<Wikipedia - Torito de Pucará より>
陶製のプカラ牛。車窓からはピンボケ写真しか撮れず、Wikipediaの画像をお借りした。

バスはインカ帝国時代から「聖なる谷」と呼ばれる地域を目指してひた走る。

ウルバンバの町

クスコの北西66㎞に位置する山あいの小さな町、ウルバンバへ。

ウルバンバのレストラン

Restaurante Tunupaトゥヌパ)という別荘風のレストランでお昼をいただいた。

ウルバンバのレストランにて、アルパカ

レストランの広大な庭では、アルパカが飼われていた。
体高(肩までの高さ)が1m、体長(頭+胴)が2mぐらいで、けっこう大きい。
おっとりした癒し系の顔立ちながら、どこか威厳があるんだよな。

だけど、ごめんね、アルパカさん。
私、あなたに出会う前、ビュッフェでお仲間の肉の煮込みを食っちまったよ。

アルパカの肉食っちまった

アルパカの肉、意外に柔らかくて旨かった。食欲と好奇心に負けてしまい、面目ない。

ペルーのリャマ

これがリャマ。アルパカより体高がやや高い。

ペルーのビクーニャ

ビクーニャは、リャマやアルパカに比べてかなり小型の有蹄類だ。
首まわりの柔らかい毛が希少で、最高級の毛織物になるという。

クスコを出ておよそ2時間、バスはオリャンタイタンボに着いた。
ペルー・レイルのオリャンタイタンボ駅で列車に乗り換えて、マチュピチュ駅へ向かう。

ペルーレイルの乗務員

ペルー・レイルの乗務員たち。制服姿が颯爽としていて、かっこいい。

ペルーレイル展望列車の車内

窓を大きくとった展望列車は、車窓の景色を楽しむのにぴったりだ。

マチュピチュへ向かう展望列車の軽食

飲み物と軽食も出る(野菜のマリネ風サラダとみかん、おいしかった)。
テーブルに置かれたみかんの向きをご覧あれ。さかさま、と思うでしょ?
でもペルーではヘタがない方が表で、ヘタを下にして置くのが普通だそうな。

列車は約1時間40分で終点のマチュピチュ駅(標高2040m)へ到着。

やってきましたマチュピチュへ_

遺跡の麓にはマチュピチュ村がある。正式名称はアグアス・カリエンテスという。
スペイン語で「熱い水」を意味する名のとおり、温泉が湧出する村だ。

リサイクル@マチュピチュ

カエルをかたどった分別ゴミ箱のデザインが面白い。
世界遺産登録地への玄関口だけに、リサイクルを徹底しているようだ。

やってきましたマチュピチュへ2

土産物屋やマッサージ店、レストランが建ち並ぶ坂の途中に
宿泊先のホテル、ハトゥン・インティHATUN INTI)がある。

マチュピチュのホテル マチュピチュのホテル階段

小規模ながら洒落たインテリアの落ち着いた雰囲気の宿で、ほっとした。
移動の疲れから、爆睡。

4日目。夢にまで見たインカ帝国の遺跡、マチュピチュMachu Picchu)を訪れる日だ。
しかし麓の村では・・・あっ、朝から雨が降ってる!

マチュピチュ雨なの?

わぁーん、稀代の雨女、私のせいか?と、泣きそうになる。
しかし、リリコがにっこり笑って言った。
「大丈夫! 稀代の晴れ女、私の力を信じなさい」
なんと、頼もしい! よし、晴れ女の力におすがりすることにしよう。

遺跡へはバスで移動する。
1911年にマチュピチュの存在を世に知らしめた考古学者の名にちなんで
ハイラム・ビンガム・ロードと名づけられた、つづら折りの山道を上っていく。

バスでマチュピチュへ

乗車案内係のお姉さんがあまりにきれいで、思わずシャッターを切る。
濃紺の上着にえんじ色のパンツとスカーフを合わせた制服が素敵。
まとめ髪の飾りまでえんじ色で統一されていたのが印象的だった。

私たちは国内外からやってきた観光客と一緒に30分近くバスに揺られた後、
マチュピチュ遺跡(標高約2400m)の入口へ着いた。
着いた・・・けど、小雨が降ったりやんだり。とはいえ、寒くはない。

マチュピチュ昔は茅葺き屋根

インカ帝国時代(15世紀)に作られた石造りの建物はおよそ200戸。
中には茅葺き屋根をのせて当時の外観を再現したものもある(写真の建物は貯蔵庫)。

着いたけど霧のマチュピチュ

侵略してきたスペイン人らにも見つからず、インカ帝国滅亡後400年も
ほぼ手つかずのまま残されていた、奇跡の天空都市が姿を現した。
山々に霧がかかっていて視界が悪い。
でも、それがかえって神秘的な雰囲気をかもしだしている。

マチュピチュの遺跡

あ、少し晴れてきた。 おおー。

霧の晴れ間に見えた

写真手前に連なる建物は作業小屋の跡。

作業小屋

さらに近づいていく。観光客がうごめいているさまがよく見える。

1日に遺跡内に入れる人数の上限は2500人で、入場料は外国人で1人62ドル。
アンデス共同体加盟国(ペルー、コロンビア、ボリビア、エクアドル)の国民であれば
37ドルだが、それでもこの地域の庶民にとっては少なくない金額だ。
ただしガイドさんのによると、日曜に限りペルー国民限定の割引があるらしい。
この日ちょうど日曜だったからか、現地の人とおぼしき家族連れを多く見かけた。

マチュピチュに来たペルーの人々

民族衣装と現代の服を合わせて着ている人にも遭遇し、言葉を交わした。

ペルー人観光客民族衣装も

マチュピチュの全体図は以下のとおり。

マチュピチュ全体図2
<クラブツーリズムのしおり「南米」より>

図の左下の入口から入り、時計回りに歩くのが一般的な見学ルートだ。
マチュピチュ最盛時の人口は推定800人とされる。
聖職者、天文学者、数学者、技術者など、特殊技能を持つ「選ばれし民」が住んでいたという。

石切り場

写真手前の赤く囲んだ場所が石切り場
こんな辺境の地で、建設資材はどこから調達したんだろう?と不思議だったのだが、
大半の建物はここから切り出された石を使って作られたそうだ。

次は聖なる広場に面した主神殿。上掲の写真の青い線で囲んだ部分に位置する。

主神殿

小さな台形をしたくぼみは飾り棚と推測される。
神殿に残ったいたずら書きから、1902年にペルー人が訪れていたことが判明した。
アメリカ人ハイラム・ビンガムが1911年に「発見」したとされるマチュピチュだが、
その存在はおそらく以前から、現地の先住民の一部には知られていたのだろう。

主神殿の隣には3つの窓の神殿がある。

3つの窓の神殿 三つの窓


東側の壁に並んだ3つの台形の窓は、夏至の日の出の位置を正確に示す。
これらの窓が何を象徴しているかに関しては諸説あるらしい。
なぜ台形なのか?という疑問も浮かぶが、謎が多いからこそ面白いのかもしれない。

ウルバンバ川が見える

遺跡西側からウルバンバ渓谷を見下ろす。
なんと急峻な斜面・・・高い所が苦手な人、大丈夫かな。
私は同行のリリコとスワちゃんのようすを盗み見た。二人は高所恐怖症なのだ。
ところが二人とも不安そうな顔ひとつ見せず、楽しんでいる。
ナスカ地上絵遊覧飛行の地獄を味わった後では、怖いものなし!の心境か。

遺跡にリャマがいる

遺跡内で放牧されているリャマが草をはんでいた。

マチュピチュの段々畑(アンデネス)

東向きの斜面にえんえんと続く段々畑アンデネス)は壮観だ。
それぞれ約3mの高さの石壁に支えられた40段の畑が
合計3000段もの階段でつながっているという。

段々畑につながる石段

段々畑を上り下りするための階段は、
壁から平たい石を突き出させるように積み重ねて作られている。

藁ぶきの建物@マチュピチュ

段々畑を見下ろす高い地点にある見張り小屋。
あたりには再び、濃い霧が立ちこめ始めた。やはり山の天候は変わりやすい。

見張り小屋を見上げて

同じ見張り小屋を下から見上げたところ。
写真右下の門(これも台形になっている)は市街地への入口にあたる。

おっ。頭のてっぺんからつま先まで民族衣装に身を包んだ女性がいるぞ・・・

ペルーの民族衣装を着た女性

といっても、観光客相手にポーズをとって写真を撮らせ、稼いでいる人たちだった。
だけど本当に色鮮やかで、伝統文化を感じさせる衣装だなあ。

太陽の神殿1

マチュピチュ遺跡内でもっとも精緻な石組みの技術が見られるのが太陽の神殿だ。

太陽の神殿2

半円状の見事な曲線を描く石壁が美しい。
壁の東と東南方向に窓が設けられ、夏至には東の窓から、冬至には東南の窓から
太陽の光がまっすぐ射し込むように設計されている。

神殿の下部には入口が三角の形状をした石室があるが、
これは陵墓(皇族の墓)だったという説が有力なようだ。

太陽の神殿の陵墓

遺跡の最高地点には、巨石を削って作られた日時計インティワタナ)が設置されている。

日時計(インティワタナ)

インティワタナは「太陽をつなぎとめる石」という意味で
インカ人が崇めていた太陽神インティに捧げられたものだという。

農業試験場近くには、茅葺き屋根をのせて復元した2棟の建物がある。

ワイラナ(準備室)

ワイラナと呼ばれ、儀式の前や山へ登る前の準備室として使われていたらしい。

私たち一行のガイドをつとめるのはジセルさんという女性(下の写真左)。
10歳の時から広島に15年間住んでいただけあって日本語がとてもきれいだし、
遺跡の歴史や文化的・宗教的な背景をわかりやすく説明してくれてありがたい。

天体観測の石

2つ並んだ天体観測の石
発見当初は石臼と考えられていたが、その後の研究では
水を張って天体観測に使ったと解釈されるようになった。

ガイドさんの案内で遺跡内をめぐる観光は徒歩で2、3時間かかるが、
83歳でまだ登山を続けている母オカワリェンコにとっては朝飯前だ。
標高5200mのK2ベースキャンプでも平気だったというウルトラの母だから、
高山病の心配もいらない。もう、勝手にしてくれ。

マチュピチュで万歳する母

だからといって、こんなに派手に万歳して弾けなくても・・・
念願のマチュピチュへ来ることができて、よっぽど嬉しかったんだろうね。

ガイドのジセルさん

王の別荘(別名「皇帝の部屋」) は、クスコから皇帝が訪れた時に過ごした場所とされる。
ここにも台形の飾り棚が設けられていた。

王の別荘

写真右、建物の外壁に突き出した丸い出っ張りは、
茅葺き屋根をのせた後、端をくくりつけて固定させるのに用いられた。

コンドルの神殿

重厚感が漂うコンドルの神殿
コンドルが翼を広げたように見える形からそう名づけられた。

コンドルの石

神殿の前には、コンドルの頭とくちばしをかたどったコンドルの石が置かれている。
ここに神に捧げるいけにえを供えて儀式を行ったという説もある。

お昼になった。
ツアーの一行は遺跡入口へ戻り、サンクチュアリ・ロッジでビュッフェの食事をとった。

午後は自由行動で、希望者はガイドさんの案内によりインカ道を散策できる。
遺跡から出発して太陽の門を目指す、往復2時間のハイキングで
参加の希望を聞かれた時、私たちは一も二もなく手を挙げた。
その昔、為政者の命令や情報を帝国の隅々にまで届ける飛脚のルートとしても使われた
インカ道を、ほんの一部だけでも見たいと思ったのだ。

ふと気づくと、霧雨はすっかりやんでいる。あたりが明るくなってきた。

今回の旅を計画するにあたり、私たちは入手できる限りの南米旅行の資料を集めた。
詰め込み型のツアーだとマチュピチュ遺跡での滞在が3~4時間と短いため、
荒天の場合、何も見えないまま帰るはめになる恐れがあると聞いた。

だからこそ麓のマチュピチュ村に2連泊というゆとりのツアーにしたわけだが
朝から雨と霧に見舞われた後、午後になって天候が回復するという空模様の変化を見るに、
ツアー選びの判断の正しさが証明されたといえよう。

インカ道に向かって歩いていく途中、後ろを振り返ると・・・

これがマチュピチュだ

おおーっ。遺跡の背後にそびえる峰、ワイナピチュ(2693m)がその全貌を現していた。
午前中は山肌がところどころ霧におおわれていたのに・・・今は完璧だ!
マチュピチュや ああマチュピチュや マチュピチュや
と、誰かの俳句をもじって詠まずにはいられない。

それにしても・・・やはり稀代の晴れ女、リリコの力は偉大だった!
私は彼女の後ろ姿をひそかに拝んだ。

インカ道をゆく2

石畳のインカ道をゆっくり上っていく。足元も滑らず、歩きやすかった。
数百年前に作られた道とは信じがたいほど、よく整備されている。

インカ道を上る

はるか後方に、遺跡の市街地(赤く囲んだ部分)とワイナピチュが見える。
ちなみにワイナピチュはインカの公用語、ケチュア語で「若い峰」、
マチュピチュは「老いた峰」を意味する。

さらに上へ行くと・・・

ハイラム・ビンガム・ロード

麓の村から遺跡へ向かうバスで通ってきたつづら折りの道、
ハイラム・ビンガム・ロードがはるか下に、はっきり見えた。
うわー、こんなところまで上ってきたんだ。
マチュピチュが断崖絶壁の上に築かれた都市であることを、あらためて感じさせられる。

太陽の門に着いた

ふうー。出発して1時間足らずで太陽の門インティプンク)に着いた。
汗ばんだ頬に風が心地よい。

インティプンクは関所

太陽の門はマチュピチュへの出入りを管理する関所としての役割を果たしていたらしい。
マチュピチュ市街地から見上げると、夏至の日に昇る太陽が拝める地点がここだ。

インティプンク(太陽の門)

実をいうと私たちは、向かい側のワイナピチュに登って遺跡を見下ろしてみたかった。
しかしワイナピチュへのハイキングは、ルートの一部に危険な箇所があるという理由で
ツアーの行程に含まれていなかった。ちぇっ、つまんないの。

ところが、そうした不満を吹き飛ばすような事実をガイドのジセルさんが教えてくれた。
太陽の門がある地点の標高は2720m。
わずか30mほどの差ではあるが、ワイナピチュより高いというのだ。

それを聞いたオカワリェンコは、急に満足げな表情になって言った。
「あらそう、こっちの方が高いの?私たち、ワイナピチュより高いところまで登ったのね」
出発前にわざわざ旅行会社に電話をかけ、
「なぜワイナピチュがツアーの行程に入っていないのか」と
文句を言って担当者を困らせたくせに、もぉー。勝手にしてくれ。

ハイキングからの帰り道。
私は歩きながら、マチュピチュを訪れることができた喜びに浸っていた。
奇跡の天空都市よ、感動をありがとう。

マチュピチュよ、ありがとう

南米旅行記、次項に続く・・・

ナスカの地上絵~ハニノシタ症候群 - 2015.12.05 Sat

11月、長年の夢だったペルーのマチュピチュ、クスコ、
ブラジル側とアルゼンチン側のイグアスの滝など、南米の世界遺産をめぐる旅が実現した。

12日間の添乗員つきツアーに参加する同行メンバーは
母親のオカワリェンコ、アホ友のリリコとスワちゃんの3人。
今回もまた、珍道中になるであろうことは明白だった。

しかし、南米は日本から見れば地球の裏側。実にじつに、遠かった。
東京~ニューヨーク~リマが片道22時間、
リマからブラジルのフォス・ド・イグアスへは4時間、リマ~クスコ間が1時間半、
往復で少なくとも55時間は飛行機に乗った計算だ。
加えて搭乗前の待ち時間があるし、バスによる移動も合計10数時間にのぼる。
観光に費やしたのは12日間のうち実質7日あるかないか。
ふうー、思い出しただけで疲れちゃったよ。

しかしそれでも、行ったかいがあったなあ・・・いろいろな意味で。
まずは旅程の最初の2日間を振り返ってみよう。

1日目の朝、ニューヨーク経由でペルーの首都リマのホルヘ・チャベス空港に到着した
ツアーの一行14人は専用バスに乗り、ホテルのあるミラフローレス地区へ向かう途中
世界遺産に登録されているリマ歴史地区を観光した。

リマは、インカ帝国を征服したスペインのフランシスコ・ピサロが1535年に築いた街だ。

リマのマヨール広場

 これがマヨール広場(アルマス広場ともいう)。
周囲には黄色を基調とする美しい建物が建ち並んでいる。
この広場、普段は市民の憩いの場だそうだが、私たちが訪れた時は
開催予定のデモによる混乱を防ぐため警官が配置され、立ち入り禁止になっていた。

リマ市庁舎

リマ市庁舎
こんな鮮やかな色の建物で行政サービスか。エキサイティングな感じだね。

ペルー大統領官邸

ペルー大統領官邸は、もともとはピサロの私邸として建てられたものだ。

リマ大司教宮殿

大司教宮殿は現在、博物館として公開されている。
凝った彫刻がほどこされた木製バルコニーが目をひく。

特徴的なバルコニー

中からは外が見えるが外からは中が見えないつくりになっているのだそうだ。
近くで見ると木彫の見事さが際立つ。

リマ大聖堂

大司教宮殿に隣接し、ヤシの木の向こうに見える右側の建物がペルー最古の大聖堂
完成は1555年、中には征服者ピサロの遺体が安置されている。

*********************************************************
2日目の早朝、私たち一行はナスカの地上絵の遊覧飛行に向けてホテルを出た。

早朝ってあなた、出発が午前4時半ですよ。未明じゃないですか。
起床は当然、3時台。 もう眠いなんてもんじゃなく、意識朦朧だ。
寝ぼけた私は、搭乗に必要なパスポートをホテルの部屋に忘れて
出発間際に取りに戻ったりして、皆さんに迷惑をかけた。も、申し訳ありませぬ。

セスナ機による遊覧飛行の出発地ピスコへは、リマからバスで4時間(!)かかる。
離陸後にパイロットが目視で位置を判断する「有視界飛行」方式のフライトで、
搭乗時刻は天候次第で変わり、かなり待たされる場合もあるらしい。

ナスカの地上絵って、ロマンを感じさせる名前だよね。
英語ではNazca lines、スペイン語ではLas lineas de Nazca
どちらも直訳すると「ナスカの線」・・・どうも風情に欠ける。
「地上絵」とは、よく和訳したものだと思う。

地上絵は、表面の岩を線状に取り除いて
深層の淡い色の岩石を露出させることにより描かれており、
誰がどんな目的で作成したかはいまだに謎らしい。

幾何学図形や動植物の地上絵が数多く見られるナスカ平原は
ナスカ川とインヘニオ川に囲まれた盆地状の高原だ。
1500年から3000年前に描かれた地上絵が今日まで残っている理由は、
この地では年間降雨量わずか5ミリという
極度の乾燥状態が長きにわたって続いているからだという。

セスナ機

上の写真は私たちが乗るセスナ機、Grand Caravan 208
自慢じゃないが 「乗り物酔いではワールドクラス」 の私は、
酔い止め薬の強力なやつを搭乗前に服用、準備万端だ。

ツアー客14人のうち2人が他の日本人グループと一緒に最初に乗り、
残り12人が次の便で飛び立つ。私たち4人は後発組に入った。

搭乗前に副操縦士からコースの説明があり、
スペイン語ができると目をつけられた私が日本語への通訳をやらされた。
もー。あとで請求書送らせていただきますからねっ、と思ったがイケメンだし、
操縦席(左側が機長)のすぐ後ろに座らせてもらえたし、まあ許してやろう。

セスナ機の機内

飛行時間は全体で1時間45分、ピスコを飛び立ってナスカ平原上空に達した後、
地上絵が見える256~104メートルまで降下し、30分ほど遊覧飛行を続ける。

さて、離陸だ。セスナ機はぐんぐん高度を上げていく。
酔い止め薬の効果か、体調は万全。雲の上を飛ぶって、気持ちいいなあ。

セスナ機機長の肩越しに

そうこうするうちに、ナスカ平原が近づいてきた。

いよいよナスカ地上絵

機体の降下にともない、副操縦士が片言の日本語で案内を始める。

「最初はぁー、うちゅうじん、でーす。ミギの窓、山のところ、見ってくださーい」

山肌に描かれた宇宙人(宇宙飛行士とも呼ばれる)の姿が目に飛び込んできた。

ナスカの地上絵、宇宙人

「こんどは、ヒダリー、宇宙人
今度は反対側に回りこんで同じ地上絵を確認する。
肉眼ではそれなりに見えるのだが、地表の線が薄くて素人写真ではとらえきれない。
赤い矢印で示したところが宇宙人の足の部分なんだけど、わかるかな?

「つぎはー、コンドル、ミギー、見ってくださーい、コレコレ、コンドル、ミギね!」

ナスカ地上絵コンドル

えーと、コンドルのつもりです。
赤字で小さく「コンドル」と記した左に鳥の翼、目をこらして見ればわかるかも。

副操縦士が何やら叫んでいる。
「つぎはヒダリー、ハニノシタコンドル、見てみて、ハニノシタ!」

は、ハニノシタ?? ハニノシタって、何よ?

もしかして・・・羽根の下のこと?
それを言うなら、翼の下だろって。 いったい誰に習った日本語なんだ。

セスナ機は乗客全員に公平に地上絵を見せるべく、
機体を右、左に大きく傾けながら飛びつづけた。
時に旋回したり、ぐわぁ、と上昇したり下降したりもする。
うぅ・・・なんか急に、むかむかしてきた。胸に酸っぱいものがこみ上げてくる。

どうしよう。やばい。
座席の前のポケットには当然、エチケット袋が備えてある。
私はとりあえずその袋を取り出し、お守りのように握りしめた。

ナスカ地上絵クモ

「ヒダリ見て、クモ! ハニノシタ、クモ、見ってください、コレコレ、ハニノシタ!!」

地上絵の上空を通過中、副操縦士は相変わらず「ハニノシタ」を連呼している。
ハニノシタ、ハニノシタ!
震える手でシャッターを押し続ける私。
窓の外を見下ろすほどにますます気持ち悪くなり、
ついにエチケット袋の中に吐いてしまった。

気分は上々・・・だったはずが一転、
気分は下々
( げげ~ )

あーもう、汚い話ですみません。

ナスカ地上絵オウム

「ミギ、ハニノシタ見ってください、オウム
コレコレ、オウム、ハニノシタ!!」

想像力を働かせて眼下にあるものがオウムだと
自らに言い聞かせようとするも、
そのころには私、もう気が遠くなり、目もかすんでいた。
ただし耳だけはよく聞こえて、呪文のごとく響く、
ハニノシタ、ハニノシタ・・・・・・

胃の中の嵐が過ぎ去り、
永遠に続くかとさえ思えた苦難の時間もようやく終わった。
あとは一路、安定飛行でピスコ空港へ向かうだけだ。
そういえば、同乗したみんなはどうしただろう。

空港に着陸後、ふらふらしながらタラップを降り、振り向くと・・・

ナスカ遊覧飛行のセスナ機

にこやかな笑顔を見せているのはパイロットたちと、地上職員のみ。
御一行様のほとんどが、エチケット袋の「お土産」を手に降りてきていた。
顔色は真っ青か真っ白のどちらかで、お通夜のような表情をしている。
ああ。みんなもあの苦しみを味わったのね。

ナスカの地上絵、これだけ見た

上掲のパンフレットにあるように、宇宙人、コンドル、クモ、オウムのほかに
クジラ、犬、サル、ハチドリ、木など、全部で11点の地上絵を遊覧した(らしい)が、
酔わずに楽しめたという人はツアーの参加者14人中、3人だけだった。

ピスコ空港からふたたびバスに乗ってホテルへ帰る途中、男性の1人がつぶやいた。
「俺たち、地獄を見たな・・・」
まさに、そのとおりだった。

地上絵を 見るため味わう 地獄かな

私と同じく乗り物に弱いリリコはただ目を閉じ、声もなくうちしおれている。

それまで一度も乗り物酔いしたことがなかったスワちゃんも、あまりの気持ち悪さに
「こんな思いまでして、なぜ・・・?」と感じたという。

うちの母、オカワリェンコは
「私は、あんたみたいにたくさん吐かなかったから」と、妙な自慢をしていた。
そんな基準で人の優劣が決まるわけでもないのに、何を言っているのか。

そして、副操縦士の「見ってください、ハニノシタ」を聞かされつづけた結果、
同乗者は全員、 ハニノシタ症候群 に悩まされていた。

ハニノシタ 呪文が耳から 離れない

呪い(?)はそれだけでは終わらなかった。
昼食のため立ち寄った海辺のレストランで、私たちはこんな人に出会った。

ナスカの地上絵を入れ墨で

ナスカの地上絵を頭皮に刺青しているご店主。
見かけはちょっと怖いけど礼儀正しくて、優しい人だった。

古代の地上絵の神秘に触れ、自分の弱さを思い知らされた日。
いい経験だった。でも・・・

もう二度と 乗らぬと誓う セスナかな

南米旅行記、次項へ続く・・・・・・

ロングアイランドのボロホテルへ - 2015.09.24 Thu

8月末から9月第1週にかけてニューヨークへ出張した。
企業や研究所を視察して聞き取り調査を行うのが目的で、一行は5人。
4人が一足先に現地入りし、私は後から追いかける形となった。

今回利用する航空会社はANA。
プレミアムエコノミークラスの航空券に、会社は45万円近くも支払っていた!

いくら夏季のハイシーズンで運賃が高めとはいえ、
よ、よんじゅうごまんえん、って・・・・・・!
いったいどこがエコノミー(経済的)なのか?

ただ、そのお高ーい運賃のおかげで、チェックインの際には
ビジネスクラスにアップグレードされていた(エコノミークラス満席のため)。
やたー! 

ANAビジネスクラスにアップグレード

機材はボーイング777-300ER、
全席通路側という配列の座席で、サイドテーブルが広い。
フルフラットシートに体圧分散型マットレスの効果か、よく眠れた。

JFK空港に到着後、タクシーでマンハッタンのグランド・ハイアット・ニューヨークへ。
早めにチェックインして3時間ほど休憩してから他の参加者と合流し、
クライアントとの最初の会議が始まった。

Grand-Hyatt-New-York-Meeting-Room.jpg

会議といっても挨拶や近況報告、スケジュールの話が中心で、
和気あいあいとした雰囲気の中であっさり終わった。
夜はクライアントによる接待が予定されている。

どうせステーキハウスかなんかに連れていかれるんだろうと思っていたら、
ちょうどその日(8月31日)に始まる
全米オープンテニスの開会式とナイトセッション(夜の部)にご招待だという。
えぇーっ!? 全米オープン!
夢のグランドスラム生観戦が、こんな形で実現するなんて!
私たちは色めき立った。同時に、あらためて失望感を味わった。
というのは初日午前11時からのデイセッション(昼の部)で
昨年の準優勝者、錦織圭が早くも敗退したのを知っていたからだ。

休憩の間にPCで試合のライブストリーミングを見ていたが、
まさか1回戦で負けるとは誰も予想だにせず、皆ショックを受けた。
第4シードの選手だってそういう日もあるさ、と慰めあっていたのだ。

それでも、クライアントの心遣いは嬉しかった。
何しろ、セリーナ・ウィリアムズやラファエル・ナダルが生で観られるんだもん。
趣味が応援!で、スポーツ観戦何でも大好き人間の私はもちろん大喜びだが、
テニスオタクのエグチさんとヤマネさんなどは狂喜乱舞している。
ちなみにエグチさんは神和住純の時代からのファン、
ヤマネさんは松岡修造と伊達公子の時代からのファンである。

ホテルで軽食をとった後、エグチさんとヤマネさん率いる日本人チーム及び
クライアント企業のエリックさん率いるアメリカチーム、総勢8人は午後5時半頃、
グランドセントラル駅から地下鉄7号線のクイーンズ方面行きに乗り込んだ。

混んだ急行に揺られて20数分。
メッツ‐ウィレッツ・ポイント駅で下車すると、目の前に
MLBニューヨーク・メッツの本拠地シティ・フィールドが見える。
全米オープンの会場、フラッシング・メドウズ・コロナ・パークはその南側にある。
人の流れに沿ってボードウォークを歩いていけば、迷うことなく
パーク内のUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターへ着く。

車両基地の向こうにアーサー・アッシュ・スタジアムが見えてきた。
初代優勝者の名をとったセンターコートだ。

8月31日メッツ・ウィレッツ・ポイント駅から

私たちは、ボランティアで地元の試合の審判をつとめることもあるという
テニス通のエリックさんから「全米オープン観戦の心得」を伝授されていた。

エリックさん ボブさん

写真左がエリックさん(会社へ着替え持参ですでにTシャツ姿)、
写真右がボブさん(どんなに暑くてもスーツで観戦が流儀です)。

観客入場の際の保安検査に備えて留意すべき規則として、バッグの大きさ制限がある。
持ち込めるのは1人1個のみで幅12インチ、高さ12インチ、長さ16インチ以内。

持ち込み禁止物の例:
バックパック、クーラーボックス、密閉容器、ガラス及び金属製のボトル、缶
エアゾール缶、騒音の出る機器、アルコール、ビデオレコーダー、コンピューター
食物(少量または医療・食餌療法目的及び幼児用は可)
武器、旗、横断幕、看板、無許可の広告宣伝・販促物、レーザーポインター
テニスラケット、ドローン(無人機)、模型飛行機、自撮り棒など。

うーん、なかなか厳しいね。
武器や、火炎瓶に転用できるボトルが禁止なのは当然としても、
テニスラケットとかバックパックなんて、つい持ち込んじゃいそうだな。

全米セキュリティ方針

これらの規則は会場入口の案内板に明記されている。
バッグを持参しない人は別レーンを通って保安検査にかかる時間を短縮できる。

さあ、アーサー・アッシュ・スタジアムへ来たぞー。
気温、湿度ともに高く、人いきれも手伝って
あたりにはテニスの祭典にふさわしい熱気が漂っている。

8月31日アーサーアッシュスタジアム

この時期のニューヨークは午後7時を過ぎてもまだ明るい。
下の写真は17番コート(左奥)、12番コート(中央)、11番コート(手前)。

夜のUSP会場

全米オープンの観戦チケットは大会が近づくにつれ入手しにくくなり、
再販チケットは公式サイトで扱うものでも定価の何倍にも高騰する。
決勝の1階席の場合、数千ドルというプレミアチケットもざらだという。

私たちの席はLogeと呼ばれる2階席で、ベースラインの正面。
コート全体が見渡せて、ゲームの展開がわかりやすい位置だ。

8月31日アーサーアッシュの席

このブロックのチケット、正規の値段は1枚125ドル(手数料別)だが、
直前の購入では8人分を定価で確保するのは難しかっただろう。
いくら払ってくれたのかは知らないが、クライアントさまさまである。

午後7時。開会式が始まった。 ビル・デブラシオNY市長の挨拶の後、
1960年代から四半世紀にわたり女子テニス界に君臨した伝説のプレーヤー、
ビリー・ジーン・キングさんが登場した。
御年71歳、まだまだ意気軒昂といった感じだ。

キング夫人スピーチ

続いて、ジョシュ・グローバンのミニコンサート。
最近リリースしたアルバム『Stages』の楽曲を披露してくれた。なんと贅沢な。

ジョシュ・グローバン

きわめつけはヴァネッサ・ウィリアムズによる国歌斉唱だ。
アメリカ国民でなくてもこれは盛り上がる。

ヴァネッサ・ウィリアムズ

開会式なんて退屈な挨拶の連続だろうとたかをくくっていたのだが、
これほど稀有な経験をさせてもらえるとは・・・嬉しい想定外だった。

いよいよナイトセッションの試合が始まった。
1回戦の場合、センターコートでプレーできるのは上位選手と地元選手が中心だ。

セリーナ ディアチェンコ

セリーナ・ウィリアムズ(左) 対 ヴィタリア・ディアチェンコ(右)。
試合はディアチェンコがけがのため途中棄権し、わずか20数分で終了した。
無敵のセリーナ、弾丸サーブを打つ時の雄叫びはすさまじいが、
勝利者インタビューに答える声はかわいかった。

ラファエル・ナダル8月31日 ボルナ・チョリッチ8月31日

続いて、ラファエル・ナダル(左) 対 ボルナ・チョリッチ(右)。
ナダルが昨年インドアで敗れた18歳の新星にリベンジできるか、注目の試合だ。
ナダルが2セット連取した後、チョリッチが第3セットを奪った。

選手席のナダル8月31日

休憩時間、選手席に座るナダル。
選手がいかに孤独かを見ていて実感できる時間帯だ。
試合中のルーティン(決まった動作、プロセス)で知られるナダルは
足元の飲料ボトルの置き方にもこだわりがあって、
飲料のブランド名をコート側に向け、ゆっくりと慎重に立てる。

試合はけっきょく、ナダルが3-1でチョリッチを退けた。
けが明けとはいえ、強烈なスピンショットはさすがだった。
私たちは興奮冷めやらぬまま、クライアントが用意したワゴン車でホテルへ帰った。
*********************************************************
2日目から、マンハッタンとクイーンズの視察が本格的に始まった。
マイクロバスを貸し切って、企業や研究所を次々と回っていく。
これから帰国までの宿泊先はロングアイランド・シティのボロホテルになる。
なにぃ、ぼろホテルぅ?
ぼろっちい宿だなんて、けしからん!
このホテルの名を最初に聞いた時はそう思った。

・・・が、日本語の「ぼろ」ではなく、The Boro Hotel のボロでした。
boroって、borough(行政区)の変化形なんだね。

ボロホテル外観

ボロホテルはクイーンズボロ地区にあるブティックホテルで
写真でわかる通り、工事中と見まがうような外観が面白い。

ボロホテル入口

ホテルの正面玄関には見えない入口からおそるおそる入っていくと・・・

ボロホテル内部

こんなスタイリッシュな空間が目の前に広がる。

ボロホテルフロント

これがフロントデスク。スタッフは気さくで親しみやすい。

ボロホテル客室

窓の外に鉄格子もどきの骨組みが見える構造になっていたり、
粗削りなノコ目仕上げの床材を使ったりと、いかにもデザイナーズ仕様だ。

ボロホテル浴室

浴室にはバスタブがなく、どちらかというと機能性より見た目重視のつくり。

ボロホテル客室、洗濯物

ベッドサイド照明のアーム、せっかくのしゃれたデザインなのに
洗濯物なんか干して生活感出しちゃって、ごめんなさい。
シャープさを感じさせるインテリアだけど、意外にくつろげる雰囲気なんだよね。

1階では毎朝同じメニューながら、オーガニックコーヒー、ジュース、
ヨーグルト、パン、フルーツといった健康志向の朝食が供される。

ボロホテルの朝食

こくのあるギリシャヨーグルトに
グラノラとブルーベリー、イチゴを入れたのがおいしかった。
*********************************************************
4日目(9月3日)のこと。朝からクライアント企業の本社で会議が行われた。
休憩中、前述のエリックさんがニコニコ顔で近づいてきて私に訊く。
「全米オープン、また観に行きたくないかね?」
奥さんが急に都合が悪くなり、代わりに観戦してくれる人がいれば譲りたいという。
「ただし、3階席だよ。それでもかまわないなら・・・」
かまいません。行きたいいきたい。お願いしますっ!

9月3日のチケット全米

えっ、だけどこれ、今日のデイセッション(午前11時~)のチケットじゃん。
もおー。あと5分で11時なのに、無理でしょ。
会議が終わるのは午後4時過ぎ。それから行っても間に合いませんって。
「いやいや、大丈夫。試合のスケジュールをよく見てごらん」とエリックさん。

全米オープン公式サイトのスケジュールによると
この日、10数面のコートでそれぞれ11時から3~5試合が予定されており、
Not before: 5:00pm(開始が午後5時以降)と決まっているものもある。
勝負がもつれて長引いた場合には次の試合の開始時間がずれこんでいくため、
6時頃からでも十分楽しめるという。
センターコート(アーサー・アッシュ・スタジアム)の指定席チケットがあれば
他のコートの自由席にも座れるから、好きな試合を選んで観戦できるのだ。

というわけでエリックさんのご厚意に甘えてチケットを手にした私は
会議終了後、ビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターへ向かった。

センターコートでアンディ・マレー 対 エイドリアン・マナリノ戦を少し観た後、
スケジュール表にしたがって他のコートものぞいてみることにした。

バンド 全米会場内

会場内ではバンド演奏やスポンサーによるイベントなど、様々な催しが行われる。

グランドスタンドではオーストラリアの若手バーナード・トミック(左)と
同じオーストラリアの元世界ランク1位、レイトン・ヒューイット(右)の
試合が始まっていた。

バーナード・トミック レイトン・ヒューイット

2メートル近い長身選手が多いなか、ヒューイットは180センチ足らずで驚くほど細い。
当然ビッグサーバーではないが、巧みなストロークと俊敏なフットワークで
2001年全米、2002年全英と、グランドスラムで2度優勝した。
34歳の今、ランキングは100位以下。
攻撃パターンが読みにくいトミックに苦戦している。

トミックが2セットを先取した時点で私は7番コートへ移動した。
ヒンギス・ミルザ組が出場するダブルスだ。

ヒンギスとミルザ

マルチナ・ヒンギス(写真手前)か。名前を聞くだけでなつかしい。
二度の現役引退を経て2013年にダブルス限定で復帰を果たし、大活躍している。

次のお目当ては5番コートだ。
 
リシャール・ガスケの片手バックハンド ロビン・ハーセ

リシャール・ガスケ(左) 対 ロビン・ハーセ(右)。
ガスケの片手バックハンドの威力とコントロールがすごすぎる。

しばらく観ていたら、隣の席の女性が
「ヒューイットがまだ戦ってるって」と連れの男性にささやくのが聞こえた。
ええっ! あれほど追いこまれていたのに、巻き返したのか?
公式アプリのスコア実況によれば、1セット取り返して奮戦中の模様。
よし、グランドスタンドへ戻って勝負の成り行きを見とどけよう。

夜まだヒューイットが

アーサー・アッシュ・スタジアムの前を通りかかった時、大画面に目をやると
マレーもまだ戦っている。2セットダウンから逆転して勝利を手中にしていた。

グランドスタンド入場を待つ

私がグランドスタンドに駆けつけた頃には入場待ちの行列ができていた。
次のコートチェンジまで中に入れないので、廊下のモニターで試合の状況を見守る。

レイトン・ヒューイット9月3日

幸い10分も待たずに入場でき、空いている席を探して座った。
ヒューイットは2セットダウンの後、第3、第4セットを連取して粘っていた。
ポイントを決めるたび、会場全体から拍手と大歓声が沸き起こる。
来年1月の全豪オープン後の引退を表明しているヒューイットにとって
これが最後の全米オープンになることを、誰もが知っているのだ。

トミックにとっては気の毒にも完全アウェイ状態で、ミスに拍手が起きたり、
「お前、空気読めよ」的なヤジが飛んだりしている。
最終セット、試合はタイブレークにもつれこむかに見えたが・・・
3時間27分の死闘を制したのはトミックだった。
最後まであきらめずに戦うヒューイットの姿には胸を打つものがあった。

ヒューイットの全米が終わった

熱戦を繰り広げた2人の健闘を総立ちで称える観客たち。
引退を控えた34歳が、同国人の22歳に次世代へのバトンを渡したことになる。
元世界王者ヒューイットにふさわしい終わり方だった。
*********************************************************
翌9月4日。私たちにとっては仕事の最終日で、会議は午後1時で終了する。
残された自由時間をどう過ごすか、みな楽しそうに話している。

私は最初、ミュージカルを観に行こうと考えていた。
しかし全米オープン初日観戦に刺激を受けて気が変わり、
8月31日の夜、ホテルの自室に戻った後、
ネットで9月4日ナイトセッションのチケットを探した。
そして、2階コーナーに唯一残った定価155ドルの席を見つけたのだった。
やたー!

あまりに嬉しくて、会議の合間につい、他のメンバーに漏らしてしまった。
テニスオタクのエグチさんとヤマネさん、反応が早かったなー。
「わあ、それなら僕らも観たいー。ねえ、一緒に行ってもいい?」
は、はい・・・まさか、いやとも言えない。

エグチさんとヤマネさんはエリックさんに頼んで即、チケットを入手した。
2階にはもう定価のチケットはなく、再販分に1人250ドル支払ったそうだ。

今回、私たちは正面ゲートでなく南ゲートから入場することにした。
フラッシング・メドウズ・コロナ・パークのランドマーク、ユニスフィアに近く
保安検査待ちの列に並んでいる間に写真が撮れる。

ユニスフィア

ユニスフィアはもともと、1964年万国博覧会のシンボルとして造られた。
『メン・イン・ブラック』や『CSIニューヨーク』など映画やドラマにも登場したので
見覚えのある人も多いだろう。

金曜だからか、会場は大変な盛り上がりを見せていた。

夜のルイ・アームストロング

写真左がルイ・アームストロング・スタジアム。1997年までここがセンターコートだった。
ジェレミー・シャルディ(左)とダビド・フェレール(右)の試合が行われている。

シャルディ9月4日 ダビド・フェレール9月4日

フェレールは身長175センチながら鋭いリターンと粘り強いストロークがすばらしい。
私って自分がチビスカヤなせいか、小柄な選手に肩入れしちゃうんだよねー。

フェリシアーノ・ロペス9月4日 ラオニッチのサーブ9月4日

グランドスタンドではフェリシアーノ・ロペス(左)対ミロシュ・ラオニッチ(右)戦。
私が失礼ながら「顔面獅子舞」と呼ばせていただいているラオニッチは
ファーストサーブの最高スピードが141MPH(時速226㎞)、
セカンドサーブでも115MPH(時速184㎞)とビッグサーバーぶりを発揮しながらも
けがの回復が思わしくないのか、ストレートで負けてしまった。

↓ アーサー・アッシュ・スタジアムの2階コーナー席からセンターコートを見る。

アーサーアッシュ4日の席

セリーナ・ウィリアムズ 対 ベサニー・マテック=サンズの3回戦。
コーナー席(セクション113)も悪くない。

ファビオ・フォニーニ9月4日 ラファエル・ナダル9月4日

今日最後の試合はラファエル・ナダル 対 ファビオ・フォニーニ。
ナダルが第1、第2セットを連取したので楽勝かと思いきや
フォニーニが恐ろしい勢いで追い上げて最終セットに突入した。
一進一退の攻防のすさまじさに、場内は大興奮の渦に包まれた。

全力入魂のナダル9月4日

全球入魂のナダルはコートチェンジ休憩の後も走って位置につく。
“Vamos, Rafa!!”(行け、ラファ!)とスペイン語の声援が飛びかう。
・・・だがグランドスラム14勝を挙げているこの偉大なプレーヤーも、
フォニーニのリスクを負った攻撃の前に力尽きた。
3時間46分に及ぶ闘いが終わったのは、午前1時半。
ニューヨークの地下鉄は原則24時間運行で、足の心配は要らない。
エグチさんとヤマネさんが一緒なので、ホテルまでの夜道も怖くなかった。

Nothing Beats Being Here.
この場での経験にまさるものはない。
テレビの画面やスコアからだけではわからない、
トッププロによる試合の生観戦の醍醐味を味わえて、最高だった。
*********************************************************
9月5日、午前10時に空港へ向けて出発の予定。
6時過ぎに起きた私は、マンハッタンのアッパーウエストサイドへ出かけた。
目的はベーグルである。

日本はグルメ大国なのに、まともなベーグルがなかなか手に入らない。
ベーグル店の大半がベーグルと称して似て非なるものを売っている。
だから時々、本物が恋しくなるんだよねー。

Absolute Bagels

39Ave駅から地下鉄を乗り継いで、
カテドラル・パークウェイ‐110丁目駅近くのAbsolute Bagelsへ。

AbsoluteBagles店内

朝7時前なのに、店内は客でごったがえしている。
ここでロックスサーモンとクリームチーズのベーグルサンドを食べ(うまいっ!)
ベーグルを4種類、計20個買って帰った。

NYのベーグル

写真はセサミ、プレーン、ポピーシード、パンプキン。
持ち帰って冷凍すれば1ヶ月はもつ。
トースターで焼くと、表面はパリッとして中はもちもちの本格ベーグルが楽しめる。
これぞ、最強のニューヨーク土産だ。

振り返ってみると仕事はきつかったが、ご褒美いっぱいの出張だった。
ニューヨークよ、ひとまずさようなら。またかならず戻ってくるからね!


スパイスをめぐる野望 - 2015.07.21 Tue

先日、地元のスーパーで山椒の実を見つけた。
生の実が店頭に並ぶのは初夏だけと聞いて、思わず3パック買ってしまった。

スパイス実さんしょう

そういえば、山椒は小粒でもぴりりと辛い
ということわざがあったなあ。辞書を引くと
「体は小さくても気性や才能が鋭く優れていてあなどれないことのたとえ」
とある。
小粒だがあなどれないって、いいねえ。私もその路線をめざしたいものだ。

わくわくしながら家に帰り、
ネットで検索したレシピで実山椒の佃煮を作ることにした。

スパイス山椒の実みどり

まずは、枝についている実を取りはずさなくてはならない。
これが、意外に大変なのだ!
小枝までひとつひとつ丁寧に取ろうとするとやたら時間がかかる。
・・・ふえー。3パックも買うんじゃなかった。指先がマヒしてきたよ~。
さすが山椒、食べる前からあなどれない。

スパイス山椒の実水にさらして

湯を沸かして実を入れ、弱火で10分塩ゆでしたあと、水にさらしておく。
その間に私は近所の100円ショップへ走り・・・

スパイス100円ショップの竹ざる

この竹ざるを買ってきた。
直径およそ36センチ、雑なつくりだがこれで十分。
何より、100円というお値段が嬉しいね。

スパイス山椒の実ざるにあげて

二度水を替えて数時間おき、ざるにあけて水気を切り、乾かす。
待つことさらに数時間。
酒、みりん、醤油を熱して山椒の実を入れ、
沸騰してきたら弱火にして炊きあげる。
・・・ふうー。ようやくできた。

スパイス山椒の実醤油煮

佃煮として食べるだけでなく料理のスパイスとして使える。
餃子や肉まんなどとも相性が良さそうだ。
が、ここはまずシンプルに、ご飯にのせていただこう。

スパイスご飯にのせた山椒の実

うまいうまい。山椒独特のしびれるような辛さ、さわやかな後味がたまらない。
醤油を入れるタイミングが早すぎたからか、少し実が固くなってしまったが、
素人にしてはまあまあの出来かな。よしよし。

しかし、スパイスをめぐる私の野望はそれだけでは終わらなかった。

次の標的はグリーンペッパー
カンボジアやタイで食べた料理に使われていた
生のグリーンペッパーの、清涼感あふれる辛味が忘れられないんだよね。

グリーンペッパー
(写真は今年5月、シェムリアップのフランス/カンボジア料理店にて)

枝つきの生のグリーンペッパーは、日本ではまず手に入らないが・・・
ネットで探しているうちに冷凍品を扱う店があることがわかり、さっそく注文した。

スパイスグリーンペッパー冷凍

これが冷凍の枝つきグリーンペッパー。海ぶどうと見間違えそうだ。
袋に加熱調理用と記載されているだけでレシピも何もないまま、
どうしていいものやら迷ったが・・・

スパイスイカとグリーンペッパーの炒め物

イカ、赤ピーマン、黄ピーマン、スナップエンドウとあわせて炒めてみた。
味つけはナンプラーとオイスターソースで、
東南アジアの料理と中華料理の折衷?のような味に仕上がった。
グリーンペッパーの辛さが鼻の奥にまでつーんとくる。
が、ただ辛いだけでなく、うまみも感じられる。

スパイスグリーンペッパー醤油煮

佃煮にするとこれ、外見は実山椒にそっくりだね。
粒はグリーンペッパーのほうが大きいけど。

スパイスグリーンペッパーの醤油煮をご飯に

炊きたてのご飯との相性は・・・うーん、実山椒には及ばないな。

そこで作ってみようと思ったのが、グリーンペッパーのピクルスだ。
食べたことはないが、ベトナムの食料品店で見たおぼえがある。
酢+水+砂糖+はちみつ+塩の混合液に漬けこんだ、自己流のピクルス。
これが、大正解だった。

スパイスグリーンペッパーのピクルス

生よりも辛味がまろやかになり、酢の酸っぱさも気にならない。
サラダドレッシングや魚や肉のソテーのソースに混ぜたり、
辛子代わりにサンドイッチの具に入れたりと、いろいろな使い方ができる。

注意点はグリーンペッパーを触った手で目をこすらないこと。
目が激辛になる・・・って、当たり前か。

♪ あなどれぬ 辛さ突き抜ける スパイスよ ♪


NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

Gomimi

Author:Gomimi
毎日小さな冒険の旅に出る、
マルチリンガルな大食い♪

名前: Gomimi ・ チビノワ・
チビスカヤ ・ コツブビッチ ・
チビコフスキー
出身地: タベルノヤルスク
出身校: オオグイネグラード大学 食物質量満喫学部
好きな食べ物: おいしくて量が多いもの
家族:
夫 (ポンピリ夫・ヘタレーノ・ビールスキー)
父 (オオモリネフ)
母 (オカワリェンコ)
妹 (コレージャ・タリナイヤナ)

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。